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執筆者の写真Hiroki Hara

『音楽にまつわるエトセトラ』Hiroki Hara




すごいスピードで9月は過ぎ、急に涼しい風が吹いた。窓の外には、隣の家の小さな庭が見える。すっかり伸びてしまった庭の草木が、しばらく続く静かな雨に濡れている。




こんな日に僕は、インディアン·サマーのことを思う。




インディアン·サマー。それは小春日和のこと。夏から秋へ移り変わる、ある限定的な時候、穏やかな陽気をそう呼ぶらしい。




「インディアン·サマー」という言葉はドアーズの古い曲で知った。




ドアーズは1965年から活動していたアメリカのロックバンドである。瞬く間にトップバンドに上り詰めたかと思えば、1971年にはフロントマンであるジム·モリソンのオーバードーズにより、あえなく散っていった。




高校生の頃、僕はヒッピーカルチャーにどっぷりハマっていて、イージーライダーを観て、ケルアックを読んだ。ウッドストックにたむろするフラワーチルドレンに憧れ髪を伸ばし、その時代のCDを片っ端から聴いた (茅ヶ崎駅のTSUTAYAで試聴機を占有していたのが、何を隠そう僕である)。





ビートルズやジミ·ヘンドリックス、スライ & ザ·ファミリー·ストーン。初めて聴く音楽はどれも胸が高鳴ったが、とりわけ僕が惹かれたのがジム·モリソン率いるドアーズだった。ジム·モリソンの激しく燃えるようなパフォーマンスは、セクシーでいて、どこか切なかった (バンド名が詩人ウィリアム·ブレイクの「知覚の扉」から来ているところも良い)。




『Indian Summer』はドアーズの曲の中ではどちらかというと地味な方だが、何故か1番好きな曲だった。とくに学校からの帰り道、夕暮れ時に聴くのが好きだった。引いては返すさざ波のようなメロディに身を任せ、彼の地のインディアン·サマーに想いを馳せながら、ふわふわと歩いて帰った。ジム·モリソンが気怠く物憂げに歌う様は、高校生ながらに何か込み上げてくるものがあったことを覚えている。



“I love you the best

Better than all the rest

That I meet in the summer

Indian Summer”




“夏に出会った何よりも君のことが好きさ”



インディアン·サマー、それは夏と秋とが正しく混じり合うところ。赤い夕暮れ、澄んだ空気、濡れた道草の匂い。




インディアン·サマー。もの悲しくていい響きだよね。











ー後記

初めてのコラムということで、自分の音楽に対する原体験的なことをつらつら書きました。つらつら。

最初にコラムの方向性を打ち合わせした際は、「マニアック過ぎずに、ファッションや映画に関係した音楽を紹介したり、キャッチーな内容で」という話で落ち着いた筈が、徒然なるままに書いていたら絶賛真逆な所に着地しています。次からがんばるので許してね?





 

Hiroki Hara



ブランドでプレスとして働く傍ら、パリコレの音楽を選曲したり、お店で流すプレイリストを作ったりしている(というと聞こえは良い)。音楽にまつわるエッセイを書こうと思います。






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